授業を受けているとき?
教えてもらってるとき?
いいや、違う。
黙々とテキストに打ち込んでいるとき
である。
じゃあ講義・解説は何のために存在してるのかというと
イントロダクションとモチベ維持
である。
今、高2〜3生は目の前で英語の和訳に打ち込んでいるが、
僕が言葉を発したのはほとんど「じゃあ、やろっか」のみである。
イントロダクションは夏休み中に十分やったし、そこで「おっ、読めるかも♪」という感覚も得られたはず。
しかし、そうは問屋が卸さないわけで笑
問屋に卸してもらうには、十分に演習を積んで何度も自問自答し、あーでもないこーでもない、えっそういうことやったん?を繰り返していくしかない。
さて、そろそろ赤ペンが入りだしたようだ。