「ヤル気はあるけど体が動かない」は嘘。
ヤル気が無いんじゃなくて体が言う事を聞かないだけ。
気持ちはあるんだ。
という言い訳。
まぁ、
5万歩譲って「気持ち」はあるという事にしてもいい。
が、
「ヤル気」の問題にしてる時点でアウト。
「やらないといけない事は分かってる」レベルであり、
「ヤル気」がある=やりたい気持ちがあふれてるではない。
さて。
人は「ヤル気」があるから動くのだろうか?
行動を起こすのは「ヤル気が出る」の待ち、
するしかないのだろうか?
違う。
行動を起こすから「ヤル気」が出る。
今日やってみて、
明日もやってみて、
明後日も明々後日も・・・
やってみて、するとだんだん
「やらないと気持ち悪い」
になってくる。
「やってない」事への罪悪感に襲われる。
「もうちょいやれるし、こんなんもやってみよう」になってくる。
行動の数を増やせば増やすほど、
ヤル気など勝手に出てくる。
ヤル気が無い時も同じ。
ヤル気が無くても行動すれば、
勝手に気分がノッてくる。
そうして行動の数を積み重ねていくと、
気持ちが最初の時より強く、大きく育っていく。
「ヤル気はあるけど体が動かない」
は?
じゃあ動けよ。
やれよ。
やってから言えよ。
ほら。
早く。
早く動けって。
動かないなら「ヤル気はある」なんて嘘だから。
思いの強さは行動の数である。
