今の世の中、英語の翻訳アプリなんかはそこら中で見かけるわけで。
テレビショッピングでは会話レベルで翻訳してくれるマシンも売り出されてるわけで。
今の小中学生が社会に出る頃には、もっともっとハイテクな翻訳マシーンが出回っててもおかしくない時代なんだよ。
一昔前の、まさに僕ら世代が言われてきたような
「英語が出来ないヤツは食っていけん!」
なんて時代は終了するかも知れないんだよ。
じゃあ何で英語を学ぶの?って。
何で英語教育を加速させるの?って。
僕はさ、「英語」というスキルを身につけるためじゃなくってさ、
母国語を鍛えるため
だと思うんだよね。
英語ってさ、国語じゃ考えないことを考えながら習得するよね。
たとえば
「受け身:be動詞+過去分詞で、〜される、という意味になる」
I love you.
→You are loved by me.
目的語を主語にすると受け身で同意文を作れる。
なんてさ、考えないよね、フツー日本語じゃ笑
この「目的語を主語にすると受け身で同意文を作れる」は日本語でも当てはまる。
ってことは日本語でもそう考えればいい。
これは「英語がこうなら日本語でもこう」の例だけどさ、
「日本語はこうだけど英語はこう」なんてこともあるわけで。
それに気付けたら「日本語がこう」の部分って、言語化して改めて気付けたことになるよね。
英語って、勉強すれば母国語が鍛えられるんだよな。
え?
それが何になるのかって?
僕らが何かを思考するときって、母国語だよね。
母国語の豊かさは思考の豊かさになると思わない?
思考の豊かさは、日々の生活の、ひいては人生の豊かさに繋がると、僕は思うよ。